コンコンコン・・・

『使用中』の札がかかってるドアをノックする。
「はーい!さ!」中からころころと明るい声が聞こえて頬が緩む。
右手にトレイを抱え直してゆっくりとドアを開くと、黒い二つの瞳と緑の一つの瞳が一斉にこっちを見た。

「リーバッ!休憩なんさ!?」
「俺も休憩するっ!」
「えーっ!ユウはさっきも休憩したばっかさー」
「しぃー!言うなよっ!」

人差し指を口の真ん中に当てて、隣のラビを諌める神田にくすっと笑いが漏れる。3人分の飲み物と2人分のおやつを乗せたトレイを置くと片方ずつの手で小さいエクソシスト、ラビと神田の頭を撫でた。机の上に広がっているのは神田は簡単な英語の書きとりと計算問題、ラビのは……ラテン語か。大人顔負けだな……。

「お前らおやつの時間にするか?」
「「する!!」」

2人仲良く声を揃えて、キラキラとした視線をトレイに向ける。今日のおやつはジェリー料理長が焼いてくれたチョコマフィンにりんごジュース。お気に入りのマイカップを持った2人は「カンパーイ!」とお互いのマグカップを交わしている。こくこくと飲み始める2人を横目に胸ポケットから赤ペンを取りだした。

「神田ー。今日の分の答え合わせするな」
「うん」

神田が少しチョコマフィンで汚れた手でノートを差し出す。ノートには一生懸命お手本をまねたアルファベットが所狭しと並んでいる。何度も消した後や、ラビに教えてもらったらしい計算問題の後に思わず頬が緩む。Tickがどんどんついていき、チョコマフィンをかじりかけたまんまの神田がキラキラした目で、手元を覗いている。全部にTickがつき、胸ポケットに入れていた『excellent!!』とスマイルマークが描かれたスタンプをポンと押すと、「やった!」とガッツポーズする神田。

「リーバッ!手にも!手にも押してくれ!」

神田が小さな手をニュッと突き出す。小さな丸い手の甲に赤いスタンプをポンッと押してやると飛び跳ねるように喜んでラビに自慢している。ラビがいーなー、と羨ましそうだったので、ラビの手の甲にもスタンプをポンッと押してやると、歓声が2つ生まれた。




「ラビー!頼まれてた辞書これでいいかー?」
辞書を片手に2人のいる自習室のドアを開ける。ラビの読んでいた文献に分からない所があったらしく、辞書を貸してと頼まれた。教えてあげたい所だが、如何せん子供ながらにブックマンの頭についていけるハズもなく、大人しく辞書を取りに部屋へと帰った。
言語学をたしなんでいたのは、教団入団前。なにか役に立つことがあればと手持ちの文献を全部教団へと運んだ。その為、狭い自室には所狭しと資料が並んでいて、ラテン語の辞典を探すのに手間取る。やっと見つけた手垢のついた辞書に懐かしさがこみ上げてきた。ついでに、参考になればと最近購入したラテン語の解釈本も一緒に手に取った。



「・・・・ありがと」
部屋にはラビ一人だけで、神田の姿が見当たらない。さっき答え合わせをしたノートは教科書と共に重ねられて、机の隅に置かれている。検査にでも行ってしまったんだろうか?ラビは辞書と解釈本を受け取ると憮然とした口調でお礼を述べる。いつも愛想のいいラビが珍しい……時間がかかった事に怒っているのか?

「どうした?これじゃダメだったか?」
「・・・ユウが鍛錬に行っちゃったさ」
「ああ、神田勉強大嫌いだもんな」

思わず苦笑するとラビが本から目だけを覗かせて睨んできた。なんだ?神田とラビはすごく仲良しだから、神田の悪口言われたと思って怒っちゃったのかな。「ごめん、ごめん」軽く謝るとますます口をとがらせた。

「・・・ユウはリーバーいないから鍛錬行くって言った」
「え?」
「いっつもユウは、リーバーリーバーって言う!!」

募らせた不満をついに爆発させたように大声でラビが叫んだ。じわ、とラビの目には大粒の水滴が溢れてくる。

「え?そんな事ないだろ?」
「オレは、いっつも『勉強』『勉強』言うからヤダって!!だってしょうがないさっ!ジジィもコムイもユウに勉強教えてあげなさいって言うんだもん!オレだってもっとユウと遊びたいさー!」
「そっか、ラビはいっつも神田に勉強教えてあげててエライもんな」
「リーバーが来たら嬉しそうにするのに。オレとだったら『勉強』しなきゃいけないからヤダって。……ふっ、ぅぅ……ぅっく、リッリーバーの事は大好きだけど、ユウの事取らないでさー!!」

ついに大粒の涙をぼろぼろ零しながらラビが訴える。あわてて小さな背中をさするとヒックヒックと嗚咽が漏れだした。
科学班に配属されて一年。全然年下の後輩が入って来ないから、エクソシストのラビと神田は弟みたいな気がして、随分と可愛がった。懐かれてる自信もあったし、他の大人には警戒心まみれの神田が「リーバーリーバー」と懐いてくれるのは嬉しかった。でもまさか、神田と仲のいいラビがこんな嫉妬心にかられていようとは・・・

「神田と一番仲がいいのはラビだろ?」
「ひぃっく・・・・ぅっ・・・・」

傍目から見てラビは神田と仲良くしたい!というビームでも出そうな気持があふれているのに、当の神田はすごくドライだ。神田の性格を知っているとラビの事が嫌いじゃないとわかるのだが、そうでなければラビの事を嫌ってるのではないかと思うくらいの素っ気なさ。

慰めの言葉を精一杯探してみても、ラビはちっとも泣きやむ様子がない。こんな時どうすればいいのかな・・・・。頭を絞ってみてもまだ10代。自分の子供がいる年でもないし、むしろまだラビや神田との年の方が近いくらいだ。

「あ!そ、そうだラビ。神田の誕生日が明日って知ってるか?プレゼント何か用意しようか?」
「明日って知ってる……。オレの好きな絵本あげようって思ってたけど・・・また『勉強』って言われるかも」
じわっとさらに涙が滲むラビの頭をよしよし、と撫でる。本人は真剣なんだろうけど、神田への大好きな気持ちと小さな小さな独占欲を可愛いと感じてしまった。神田だってラビの事嫌いなわけじゃない。見てたらよく分かる。嫌いな人にはまずしゃべらないし、ラビと一緒に遊んだりご飯食べたりするのはそうとう仲がいい証拠だろう。でも、こんな事いってもラビは信用しないだろうしな。

「ラビ。カードもつけたらどうだ?」
「カード・・・?」
「手作りで、誕生日おめでとうとか、これからも仲良くしてねって書いたらきっと神田も喜ぶぞ?」
「ほんと?ユウ、オレと仲良くしてくれる?」

濡れた瞳をぬぐったラビに俺は大きく頷いた。


※※※※※※※※



「神田ー!」
翌日、廊下で六幻を背負った小さな人影を見つけると俺は声をかけた。神田は俺の姿を見つけるとパッ、と表情が明るくなり駆け寄ってきた。昨日の鍛錬で1000回素振りができた!と嬉々として報告してくれる。

「神田。今日ラビに会ったか?」
「アイツ?まだ会ってねぇぞ。ブックマンのとこじゃないか?」

キョトンと首を傾げて神田は言う。今日は会ってないって事は、まだラビはプレゼント渡せてないんだな。

「ラビが神田ともっと仲良くなりたいってよ」
「ふーん」

神田は興味なさげに六幻の柄をいじり始める。これじゃぁ、ラビが勘違いしてもしょうがないな……。もっと気持ちを口に出すやつだったら、ラビも不安にはなんないんだろうけど。

「神田だって、ラビの事嫌いじゃないだろ?もっとラビと仲良くしてやれよ」

神田の眼の高さまでしゃがんでポンポンと頭を撫でようとした時、神田の顔がみるみる強張っていくのがわかった。
ぎゅう、と六幻を握りしめて俯く。


「・・・べ、別に俺、アイツにいじわるなんてしてねぇ!!」

神田の反応にしまった!と焦った。神田からしたら俺が仲良くしろと口出しするのは、まるで『神田がラビをいじめている』と叱責したように感じてしまったのだろう。余計な事を言わなければよかった。

「あ、そうじゃなくてな・・・。神田。えーっとえーっとラビが神田ともっともっと仲良くなりたいんだってよ」
「・・・・」

むくれたままの様子でぶすっと黙る神田に、ラビのとこに行ってやれと背中を押した。こじれないといいんだが……。ほんと失敗したなぁ。もしこじれたら俺の責任だし。手に持った書類にチラ、と目をやり、頭に浮かんだ上司の顔に詫びを入れ、神田の後を追った。




「おい」
「あ!ユウ!!」
「お前、俺と仲悪いと思ってんのかよっ!」
「え……何?え……あ…お、思ってないさ」
ああ!神田突然そんなキツい言い方したら…。ほら、ラビがビビって涙目になってるじゃねぇか。柱の陰から二人の様子を覗き、まるでストーカーの様だ。事情を知らない人からみたら、子供を誘拐しようとしてるって勘違いされそう。子供達の事は子供同士で解決するのが一番……ほんと変な事を言わなきゃよかったな。

「じゃぁ、なんでリーバーにあんな事言うんだよ」
「リーッ・・・」

あっ!やばい…。ラビの顔がくしゃっと歪み、みるみる左目に涙が溜まっていく。ただでさえ俺に嫉妬心を抱いてるラビなんだから、今の言葉は絶対に禁句だ。でも、それを分かってない神田は急に泣き出したラビを見て、びっくりしたように目をまん丸くさせて突っ立っている。

「おいっ!お前…、なんで泣くんだよ。また俺がイジメてると思われるだろ」
「だって……だって、ユウが……ぅっ、ふっ、ううっ ……うぇー」
「ば、バカ!な、泣くなって言ってんだろ」
「ぅう〜……だって…」
「な、泣くなっていってんだろぉ……」

周りをキョロキョロ見渡し神田が困ったように眉をしかめる。あそこで頭を撫でるとかなぐさめの言葉をかけるとか器用な事ができないのが神田なんだよなぁ。



「リーバーくーん!仕事サボって何やってるの?」
「ぅうわぁぁぁ!」

突然背後から首筋にフッと息を吹きかけられ、ぞわぁと鳥肌が全身を駆け巡る。後ろには、最近アジア支部から来たという長い黒髪にメガネをかけたコムイが、ニコニコとコーヒーカップを片手に立っていた。そう自分と年も変わらないのに、本部の科学班に配属されてすぐ、班長になりもうじきに室長補佐にでもなりそうな勢いだ。妹がエクソシストとして本部に配属されているらしいが、体が弱いらしくまだ一度も会った事がない。コムイの話では相当な美人で性格の良い子という話だ。

「ビックリさせないでくださいよ」
「えー!だって上司のボクには働け働け言ってるのに。リーバー君だけサボっててズルい―――!」
「アンタは毎日サボってるでしょうが!俺はちょっと……」

チラ、と廊下に視線を戻すと硬直したように動かない神田とまだ泣きじゃくってるラビの姿がある。出て行こうかどうしようかと迷ってると、「あの子達、リナリーと同じくらいの年だよねー。大きくなってから彼氏とかに立候補しないといいけど…。今のうちにシめとこうかなぁ〜」などと物騒な声が聞こえる。忘れていたけど、コムイは相当なシスコンだ。机の上にリナリーの写真を数枚貼ってあるし、事ある度にリナリーの病室へと会いに行く。今も目が笑ってない…。

「あ、あの神田くんって子も泣きそうだね〜」
「ちょっ、コレもって、職場戻っててください!」

手に持った書類をコムイに押し付け「ヒドイ!上司をパシリに使うなんて!」という声を無視して二人の元に走る。せっかくの神田の誕生日なのに、2人とも泣いてしまうなんて放っておけない。


「ラビ、神田どうした?」
「・・・・ぅうっ、ふっ、リーバー…」

傍によるとラビが片手で白衣の裾をつかんでくる。よく見るともう片方の手には画用紙をしっかり握りしめてるじゃないか。昨日のアドバイス通りカードを作ってたんだな。神田へと視線を移してみると、唇を噛みしめて必死に泣くのを堪えているが、目尻の端に涙が滲んでいる。

「ラビ、神田に渡すものがあるんだろ?」

コクン、とラビが頷き、ちょっとだけクシャクシャになった二つ折りの画用紙を神田へと手渡す。ほら、と背中を促すと「誕生日、おめでと」とモゴモゴと伝える。神田がおそるおそるといった表情で、画用紙をゆっくり広げる。


『たんじょう日おめでと。ユウだいすき。せかいでいちばん。いっぱいあそぼうね ラビ』


オレンジ色のクレヨンで画用紙いっぱいに書かれている。端っこには、黒猫とオレンジ兎が描いてあり自分達の事なのだろう。神田が何も言わないので、ギュッとラビが俺の白衣に顔を埋める。画用紙を凝視していた神田だが、やがてゆっくりとラビの方を向いた。

「ラビ……。俺、ラビの事一番仲いいと思ってるぞ」
「……ほんと?」

涙でぬれた表情でラビが顔を上げる。コクンと頷く神田に照れてしまったのか、ラビはもう一度白衣に顔を埋めた。

「仲直りできてよかったな」

「「ケンカしてない!さ!!」」

息ピッタリに抗議し、「あ…」と2人で声をあげて顔を見合わせて笑ってる。すると何か思いついたのか、お互いニヤッと顔を見合わせた。

「だっこ!」
「だっこしてさ!」

「えー!2人同時は無理だよ!」

珍しく神田も甘えた事を言って、手を伸ばしてくる。「誕生日プレゼント!」「ご褒美!!」と口々に言い合って白衣にしがみついて離れない。さっきまでお互い泣いてたのに、すっかり徒党を組んで……

「しょうがないな…。限界が来たら下ろすからな」

右手に神田、左手にラビを抱えて持ちあげると、キャッキャッという笑い声があがる。神田がそっと白衣で目尻の涙をぬぐったのには、気付かないふりをした。




※※※※※※※※



「なっつかしいなー」
「何見てるんさ?」

リーバーの手元をひょいと覗きこむ。リーバーが開いていたアルバムには、まだ身長がリーバーの腰くらいまでしかなかった頃のオレたちが写ってる。もう、すっかりオレはリーバーの身長に追いついてしまったのだが・・・。

「ゲッ。こんな写真残ってんのかよ」
「ユウが誕生日の時のさ?ちょうど10年前!!」

後から、執務室に入ってきたユウが顔をしかめる。以前、子供のころの写真を持ってたら、「燃やせ!」と没収されそうになったこともあった。嬉々としてページをめくると、リーバーがオレ達を抱っこしている写真、ローソクの日を吹き消しているユウ、オレからのプレゼントを得意そうに持って写ってるユウの写真が次から次に出てくる。「かわいい!かわいい!」と連発するとその度にユウから拳が飛んできた。

「あーこれ、覚えてるー!リーバー君ったらボクに仕事ばっかりさせて、自分は二人と食堂で誕生日パーティーしてたんだよー!」
「アンタ、途中から混ざってませんでしたっけ?」
「あー、2人はリーバー君にだっこやおんぶしてもらっていいねぇ。ボクもしてほしいなぁ〜」

コムイまで覗きこんできて、リーバーにあきれられている。ほんと仲がいいなぁ。小さいころはオレ等は周りの大人は信用できない!と警戒してた。でも、リーバーだけはなぜか信用できる気がして、ユウと2人でここぞとばかり甘えていた。あの時は、リーバーはものすごい大人だと思ってたけど、今のオレ等より年下だよなぁ……。
リーバーの事大好きだったのに、あの頃からユウを好きだったオレは、ユウの事取られちゃう気がして泣いて困らせた事があった。時々まだその嫉妬心は少し芽生えたりするんだけど……。でも、大人になった分ユウの気持ちも少しだけよく分かるようになって。

「コムイ、報告書ここに置いとくぞ」

ユウが机に書類を置いてさっさと出て行った。隣を横切る時、耳が赤かったのは気のせいだろうか?机には、ユウがさっきまで見ていた写真。思わず口角が上がって、急いでユウを追って廊下に飛び出た。




「ユーウ!!たんじょう日おめでとっ!!だいすき!せかいでいちばん!……子供の時よりもずっとね!」

後ろから抱きついたユウの横顔は真っ赤で、珍しく拳は飛んで来なかった。